鋏 (下)

 この本丸の初代主はそれはそれは優秀な審神者であった。
 次代の審神者も同じく能力が高かったが、初代とそりが合わず引き継ぐことを拒否し別の本丸の主となった。
 しかし勢いよく出て行った割には運が悪かったらしく、程なく戦死。

 三代目は初代の孫に当たる。審神者になることが生まれながらに決まっている子供。
 その子供は親に捨てられ祖父に育てられた。
 祖父に可愛がられ祖父の刀剣と一緒に過ごし育った。

 審神者になるべく生まれた子供は、審神者になるための英才教育を受けたが、能力は初代を超えることができなかった。

 その決定的な証は初代が亡くなって二月もたたずに起こる。
 歴史修正主義者に襲撃を受けたのだ。
 本丸は壊滅。主は死にいたり、仕える刀剣もすべて折れ、優秀な審神者の系譜が一つなくなるはずだった。

 ――その主に子供が居なければ。

 子供は赤ん坊と呼ぶに相応しく、襲撃の時刀剣と避難していて無事だった幸運な子供だ。
 そして審神者と呼ぶにふさわしい力を有していた。

 そのまま成長すれば数ある本丸の中でも指折りの名声を得ることも可能なくらい、将来に期待が持てる審神者候補であった。

 優秀な赤ん坊は優秀すぎるあまり普通はできないことをやってのける。
 自らの母の刀剣と、縁を持ったのだ。
 そのおかげで本丸の主が息絶えても、襲撃で折れなかった刀剣は残ることができた。
 本丸は維持されることとなったのだ。

 しかし、問題があった。

 優秀とはいえまだ赤ん坊である。審神者は職業であるからして赤ん坊には勤まらない。つまり審神者になることはできない。
 そして一度襲撃を受けた本丸は敵に狙われやすくなる。
 このままでは瓦解も止む無し、と言うところで白羽の矢が立ったのはその赤ん坊の叔父。

 先代の弟に当たる人物だった。

 その男はこの日、本来の主に本丸を引き継ぎ役目を終えるはずであった。

 瓦解間近だった本丸を建て直した功績と、審神者を勤め上げた者へ送られる褒章。
 それに妻を加え、大手を振って自らの時代へ凱旋する。
 そのはずだった。

「まだ見つからないのか!? 加州!!」
「……まだ長谷部が帰ってきてない。もうちょっと待と? ね?」

 男はぎりり、と爪を噛んだ。
 主に寄り添う青年の名は加州清光。彼は今代の主の初期刀である。

「くそ……さっさと連れて来い!」

 目すら合わせる事も無く、男は苛立たしげに腕に手を置いていた加州を振り払い怒号を浴びせる。
 そんな時、道の向こうから和泉守兼定の声が聞こえてきた。

「おおーい!! 長谷部が居たぞー!!」
「! 本当か!! 見つかったか!!!!」

 男は表情を一変させると足早に道を歩き出す。
 加州はその様子に振り払われた手を片方の手で押さえ、悲しげに眉を寄せながら耐えるように唇をぐっと噛んだ。
 そのやり取りを後ろで三日月宗近が目を細めて見ていたことには誰も気づきはしなかった。

「長谷部! みつかったか!?……」

 長谷部が居たその場所はいうなれば崖であった。
 すこし開けたその場所は崖の向こうに山々の美しい緑が見える。
 景色はすばらしかった。

 だが、

「……なぜ、あれの下駄がそこに」

 女が履いていた下駄がひとつ、落ちていた。

 崖に柵などない。
 地面には点々と赤い物が落ちている。

 その点を幾度か辿り長谷部を見やると男はそこではじめて、長谷部の腹部が赤く染まっていることに気がついた。

「刀解してください」

 俯いていた長谷部は、己が主に刀を見せるように掲げた。

「斬りました。申し訳ありません」

 抑揚の無い通るような声だった。
 長谷部はそのまま地面に膝をつき、頭を垂れる。

「な、何を言っている」

 男はよろめいた。
 手は震え、支えに来た加州へすがりつくように必死に掴む。

「切っただぁ? ナマいってんじゃねーよ。死体がねーじゃねーか」

 和泉守は腰に手を当て、長谷部を斜め見る。その表情はめんどくさそうだ。

「兼さん、そういうこと言っちゃダメだよ」

 腕を掴んで制止するのは堀川国広だ。

「ハサミが……落ちていますね」

 その声の主は淡々と地面を見つめながら言う。
 優雅な仕草で地面に手を伸ばすのは宗三左文字だ。
 宗三は血濡れの鋏を手に取り尖った先を見据えた。

「は、はせべ……なに、何が」

 男は近侍にすえていた刀剣の言うことが信じられなかった。
 へし切長谷部という刀は主人に忠実であり、主命に背くことなど――ましてや裏切るようなことはしないはずだと、男はこれまで信じていた。

「黙ったままじゃわかんねえだろう!」

 和泉守が長谷部の胸倉を掴み引っ張れば、頭は力なくがくがくと揺れる。
 慌てて堀川国広が止めに入るが、和泉守は長谷部の生気の無さに舌打ちをしつつそのまま突っ返す。
 呆然とした姿はまるで案山子のようだ。

「……言え」

 先に焦れたのは男のほうだった。
 無理も無い。
 己が溺れる様に情を注いだ鳥が籠の外に出たのだ。
 どこへ飛んで行ったのか、気にならないわけが無かった。

 促された長谷部はずいぶんと時間をかけ、ゆっくりと紡ぎだす。

「……情けをくれとすがりつかれました。拒否したところその鋏で腹を刺されまして、咄嗟に斬りつけてしまいました。弾みで崖から落ちていったようです」

 俯きながら告げる表情は髪でよくは見えない。
 しかし淡々と放たれる言葉に、周囲は静まり返った。

 男は聞こえた言葉を理解できなかったのか目を瞬いて「は」とだけ呟いた。

「情け……って」

 ぼそりと加州が呟く。
 その際力が抜けたのか加州にもたれる男の肩はびくりと震えた。

「切る前に連れてこいよこのバカ!」
「兼さん! やめなって!!」

 長谷部は和泉守と堀川のやり取りを他人事のように聞いていた。
 ……己の主の反応に集中していたのだ。

 男ははくはくと口の開け閉めを繰り返し、一文字に引き閉じるとぎろりと長谷部を睨みあげた。

「あ、主!!!!」

 理解すれば男の頭の中を轟々と燃え盛る火のように怒りが支配した。
 男は足を縺れさせながら長谷部に掴みかかる。
 紫のカソックを握り締め、揺さぶった。

「真実か! お前が殺したというのか! 俺のものをお前が!」
「申し訳ありません」

 長谷部の表情は何の感情も浮かんでいなかった。
 紫色の瞳だけがただ己の主を映し、その様は男を激昂に追い立てる。

「オマエェ!!」
「申し訳ありません」

 殴りかかられても、長谷部は動かない。
 殴り、蹴り、倒れさせた上で腹の傷を踏みつける。
 それでも息が上がった審神者とは対照的に、長谷部は眉を歪めるだけだった。

「……主、刀解を。主命に逆らいました。どうぞ俺を刀解してください」

 それは長谷部にとって懺悔の言葉だったに違いない。

 このまま殺してくれと、長谷部は最後に主に願ったのだ。

 苛立った男は願い通りに長谷部の首を絞めあげた。
 もう、目の前の刀を折ることしか考えられなかった。

 ぎりぎりと音を立てるのは長谷部の首だ。

 それはまるで足蹴にされて折られる刀のよう。
 男は力の限りで首をへし折ってやろうと考えていた。

 しかし――――――。

「いけないな主殿。いや、もう主ではなかったか」

 息を飲んだのは誰だったのか。

 男が声のほうをゆっくりと見れば、三日月宗近がこの場にそぐわない表情で優雅に笑っていた。

「ぐ、う!?」

 もう少しで息の根が止まりそうだという時にいきなり解放され、長谷部は咳き込む。
 構わず三日月はゆったりと男に近付くとそっと肩に手を添えた。

「そのへし切長谷部はもうそなたのへし切長谷部ではない。ここで勝手に折っては、新しい主に咎を受けるのではないかな」

 三日月の言うことは真っ当な事であった。
 今日の正午に男の刀剣だったものは引き継がれることになっている。それは決定であり、覆すことは男にはできない。

 時は正午を越えていた。

 下手にこの裏切り者を折れば、男は帰還できずに拘束されることとなる。
 男はぶるりと体を震わせた。
 そしてそのまま地に膝をついて、ぐうと唸ったかと思うと地面を握り締め震えだした。

「審神者さん、これ……」

 堀川が落ちていた下駄を差し出すと男はかき抱き泣き出した。

「……まだ崖の下にいるんじゃねーか?」
「下は水ですからねェ……でも死んでるんじゃないですか? ほら、あそこ。血が……」
「黙れよ! お前ら!!」

 加州は男に駆け寄り、慰めようと背中を撫でる。
 しかし、男は煩わしかったのか加州を突き飛ばし下駄を大事そうに腕の中にしまいこむ。

「あるじ……」

 尻を地面に付けたまま、加州の顔は歪んだ。

「審神者殿、新しい主を待たせている。立たれよ」

 三日月の声に男はよろよろと立ち上がると、ゆっくり歩き出した。
 その後を三日月が追う。

「変っちまったなァ、本当によ!」

 和泉守は最後に主だったものに聞こえるように大きく声を上げたが、男は振り返りもせず何の反応も起こさなかった。

「チッ」

 堀川はしゃくりあげる加州を起こし、長谷部に目を向けた。

「立てますか」

 長谷部はぐいっと口元を拭い、睨みつける。
 それを返事だと受け取った堀川はにっこり笑って歩き出した。

 堀川と加州の後姿を見送り、改めて長谷部は己を見た。

 ひどい有様だった。
 蹴られたのが悪かったのか、土と血が混じった物がそこかしらについて払っただけでは取れそうに無い。

「……本当に、殺したのですか。――あなたが?」

 問いかけてきたのは宗三だった。
 鋏を手の中でくるくると回し遊んでいる。
 指に刺さるように見える切っ先からは、ぱらぱらと赤黒い物が落ちていく。

「本当だとしたら、うらやましいことですね」

 まるで信じていないのだろう。
 宗三は煽るように笑ってみせるが、長谷部は沈黙を保ったまま。

 元々8人だった人数はひとり欠けたまま門に向かうこととなった。

 ――引継ぎは予定としては遅れたものの滞りなく行われた。

 別れの時が差し迫り、本丸中の刀剣が見送りに集まる。
 皆が別れを惜しむ中、近侍であった長谷部はもう二度と会うことはないというのに声を掛けることすら許されはしなかった。
 当たり前だ。
 しかし、それでも名残惜しげに主を見やれば、なぜか三日月と目が合った。

 くすり、そんな音が聞こえてきそうな笑みであった。

 長谷部は無意識に首に手を当てた。
 そのあたりがぞくりとした気がしたのだ。

 気のせいだと手を下ろした時にはすでに、『主』は本丸から去っていた。

2019年4月15日

Posted by aco